【フライの雑誌と歩んだこの10年】

Category : 仕事:取材・執筆活動など

今さらながら「フライの雑誌 100号」出版おめでとうございます。
個人的には深いお付き合いをさせていただいている雑誌。
そして一般人からしたら相当なマニアックな雑誌でございます。

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確か話しの流れで実際にお会いしましょうってことで、夜の横浜でメバルを狙ったのがはじまり。
それから横浜や品川、川崎の下水処理の温排水でボラを釣りに行ったり。
真冬に波しぶきを上げながら正面から北風が吹き付ける夜の横須賀に連れっていったり。
工場のイルミネーションを背景にFFは斬新だなんて化学臭漂う川崎の海に付き合せたり。
思い返せば、ろくな接待してない(笑

最初に記事を書かせてもらったのが第63号。
ふと思い返して63号の発行日を見ると2003年11月20日となっている。
もう10年にもなるわけだ。

この63号は現編集長が舵取りをはじめた号でもある。(と僕は勝手に思っている)
偶然にもその頃からのお付き合いになるから今思えば何かの縁ってやつなのだろうか。

当時は個人ホームページで海のフライフィッシングだけを取り上げていた。
その流れから海に関することを記事にしようって流れになる。
これが第64号の記事だった。マッチ・ザ・バッチ。

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今はソーラス条約やら規制が厳しく、釣ができる場所が皆無に近い京浜ベイエリア。
観覧車を背景にフライロッドを振るという、なんとも不思議な光景だった。
まぁ身近なフィールドが海だったあの頃は、これが当たり前の風景だったんだけれど。

この号を皮切りに、海フライ関連の記事の連載がはじまった。
魚が何を捕食しているか、そこに着目しフライパターン等を考えていく。
海産ヨコエビやらワレカラやらデトリタス・・・マニアックなものも登場したっけ。

このあたりからフライの雑誌では「海のフライフィッシング」関連の記事が増えた。
きっと読者から反感の声が少なからず届いたと思う。
それでも編集人の堀内氏は仕掛けた。

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海フライの本(左)海フライの本2(右)である。
執筆に関わることに僕は冗談半分(両方の本とも「出そうよ~」みたいなノリで誘われた)だった。
世の中を取り巻く海フライ事情の変化についてはフライの雑誌読者ならニヤリとするところだと思う。

やがて餌生物(じせいぶつ)から着目するという観点は正しかったと思う事件がおきる。
堀内氏の目は想像以上にヘンタイだと確信した。

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やがて僕は東京を離れることになる。
宮崎への移住。

東京最後の釣りは取材がてら、野川での鯉釣りだった。
どっぷりと太った80cmクラスの都会の真鯉。
まぁ、なんとなく自分らしい釣りだったかな。
息子君としゃぶしゃぶを堪能し、翌日には宮崎へと発った。

そして始まった宮崎での生活。
新しい生活にもフライの雑誌は切っても切れない変わらぬものである。

潮まみれだった変人が、今度は山で泥まみれになる日々。
記事だって自分で獲物を獲ってなめしました!とより一層マニアックになった。

もうすぐフライの雑誌とお付き合いを始めて丸10年が経つ。
周囲の雑音などものともせず自らの信念を貫く。
僕がフライの雑誌から学んだ一番の教えかもしれない。



余談ではあるが、以前、フライの雑誌社は東京の仙川という場所に事務所を構えていた。
偶然にも妻(当時は入籍前)が住んでいたマンションから歩いて3分の所である。
今だから言えるけど同居を見送っていた理由がここにある。

まるでサザエさんに登場する「伊佐坂先生」のごとく締切に遅れる僕。
妻も堀内氏とはFBで意気投合したコメントをするくらい。
完全なる「監視状態」に追い込まれるのは明白だったのだ。
締切守らないのがいけないんだけれど・・・。


プロフィール

牧 浩之

Author:牧 浩之
・職業:猟師・西洋毛鉤釣職人
 
・狩猟の獲物は余すことなくできるだけ利用。羽や毛皮は仮剥製およびなめし加工をして、毛鉤用素材として販売しています。

・当ブログはリンクフリーですが、記事の引用等は無断転載はお断りしております。転載などありましたら一言いただけると嬉しいです。
 
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